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テオドール・アビランド 1892-1925年








テオドール・アビランド 1892-1925年

このころテオドール・アビランドは、ニューヨークH&C社の代理人ウイリアム・ブリッグスとの独占販売契約を継続する合意をとりつけ、またラ・ペピニエール(ロレーヌ地方)へ一時的に活動拠点を移しました。ポール・ジュアノの管理責任の元、彫版工と絵付け工のグループはそこで最初のコレクションの製作にかかろうとしていました。

テオドールは、タバコ広場(現在はダヴィッド・アビランド広場)に面したおよそ5ヘクタールの土地を購入し、2つの焼成窯を持つ工場を建設。土地取得から16ヵ月後の1893年8月3日に工場は完成しました。労働力と原料の節約を可能とし、「モスリン磁器」と証印される特別な磁土を使用した高級製品の生産を可能とするような近代的な工場は、アビランドの生産基盤を急速に整えました。

操業開始後わずか数ヶ月の間に、67のカップ・プレート成型機およびアーム・プレスより20倍高速な電気式石版刷プレス4台が設置されました。施飾品の焼成には、古い非連続式マッフル窯の代わりに、4台の連続焼成窯を使用。1906年には、新工場は800人の職工と16台の焼成窯を持つまでになりました。

製磁産業においては、すばらしい製造設備だけでは十分でなく、顧客を魅了するようなシェイプと装飾を顧客に提供できる美的感覚を持つ人も必要です。

テオドール・アビランドは、パランドル、アルベール・ダムーズ、ランドウネール、ブラックモン等、彼が懇意にしている芸術家達に協力を仰いでいます。工場始動直後には、彼は2つの新しいシェイプと103のデザインを製作しており、毎年、2ないしは3の新シリーズと多くのデザインを産み出しています。ポルトガルのマリア・ピア女王のためにダムーズがデザインしたディナーセットは、テオドール・アビランドを王室用ディナーセットのスペシャリストとしてその名を高めた顕著な作品です。

35の工場と3千焼成の生産量を持ち、アメリカへ1万8千トンの輸出実績(65%はアビランド)を誇るリモージュにとって、1900年代は非常に重要な時代でした。



そのころの最も大きな出来事といえば、パリで開催された万国博覧会です。



テオドールは大量の作品を投入し大々的に参加し、最高賞であるグランプリを獲得。展示作品の中で最も卓越した作品としては、ボネットが成形し芸術家が加筆したブールデルの5つの半身像、フィガロ紙の批評家に「正真正銘の装飾傑作であり、価格は8千フランという大金である」と書かせたレオンス・リビエールによるディナーセット、またジュアノのぼかし模様の壷、ルトガルのマリア・ピア女王のためのセラドン(青磁)・白磁のディナーセット等が挙げられます。

1903年、テオドールの長男であるウイリアム・アビランドが入社し、1904年4月15日に取締役に就任。工場は拡張を続け、新しい機械を導入するために三階建ての建屋を新築しました。

1905年3月2日から4月21日までリモージュで相次いでストライキが発生。経営者側が工場封鎖で対抗したため、流血の暴動へと発展しました。刑務所の門が打ち破られ、投石により不意をつかれた治安部隊は、発砲で応酬します。

テオドールも住民の怒りから免れられず、死の脅迫を受けたり、自動車を焼かれたり、当時のニュースになっています。

そのときまた、この出来事ほど悲惨ではないが同じくらい深刻な懸念すべき出来事がアビランドに起こっています。

それはアメリカとの通関当局との果てのない係争問題です。

当時のアメリカ向け出荷量は、1842年の753トンに対して、爆発的に伸びており、1906年にはついに28450トンに達していました。

アメリカの通関当局はこの点を調査、請求価格の正当性について異議を唱えていた「アメリカ窯業協会」に後押しされたかたちで商品の差し押さえを発令しました。

輸出禁止は1907年2月から6月まで続き、リモージュの一部の工場では、人員の解雇や生産の一時的縮小措置がとられました。この対立は深刻で、アメリカ政府は財務省のレイノルド副長官および2名の専門調査官を主体とした第一線級の調査団をリモージュに派遣しました。

長期間の審議後調査団は、リモージュでの磁器販売平均価格をベースとした新しい関税率表「rate list」作成にこぎつけました。しかし、この合意はその場しのぎに過ぎず、通関当局との問題は1914年の第一次世界大戦布告まで続きました。



当時の工場への投資資本は3万フランを越え、年間売上高は2万5千フランで、その70%はアメリカ市場向けでした。



1914年から1918年の間は、非常に困難な時代でした。大半の従業員は徴兵にとられ、石炭や石膏も不足しました。材料市場も一時的に封鎖されてしまいました。1914年には205回の焼成が行われたが、1917年には51回まで落ち込んでいます。

1919年12月17日、テオドール・アビランドが死去し、息子のウイリアムが社長に。義理の兄弟であるリューズ(H. de Luze)とアルビ(L. d'Albis)およびパリに住んでいる弟のギイが彼の補佐役となりました。

終戦後平穏な生活は戻りましたが、生活スタイルは戦前と趣が異なっていきました。戦争に参加した若い人達は親の権威から解放され、女性達はスカートを短くし、髪も少年のように短くカットしました。

ペレ兄弟やル・コルビュジェが設計した家には、ピエール・シャロやルールマンがデザインしたシンプルな線を基調とした家具があり、装飾を排した家の内部には、花綱模様や花柄をあしらった皿類は時代の嗜好と合わなくなっていきました。

ウイリアム・アビランドは、この時代の変化を察知し、1921年より、新しいテーブルウエアをデザインするため、シンプルで楽しい粗描装飾を得るべく、芸術家と一緒に創作活動を行いました。弟のギイを通じてジャン・デュフィと知り合い、アビランドの先駆者達と同じ綿密さでデザイン細部全般を話し合いました。例えば新しい協力者に対し「あなたのデザイン1と1”は、灰色、黒、調和の取れた色調等、ほぼ完璧です、唯一お願いしたいのは、蝶々を削除するか数を大幅に減らしてください」と書いています。


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